6月5日12時成田発 JL401便にてロンドン・ヒュースロー空港に向かいました。4年前に「世界の住まい」第1回の収録にスコットランドに行ったことが思い出されました。このTV番組が4年目を迎えるという長寿番組に仲間入りしているのです。
ロンドンのホテルは空港の近くなので、すぐにチェックイン。ここで休憩してそのまま食事をすればよかったのですが、現地コーデネイターが最初の打ち合わせ兼ねた夕食を市内のスペイン料理店で行いました。渋滞して車で1時間30分。ぐったり疲れてしまいました。
レッドハウスが建てられた1860年はウイリアム・モリス(William Morris)の絶頂であると同時にイギリスにとっても絶頂の時でありました。
産業革命により均一化した製品が造られ、大工場で長時間にわたり単純労働で搾取される労働者が現れました。この流れに抵抗し、手工業による芸術作品の実用性と社会性を強調したのがモリスです。このアーツ・アンド・クラフツ運動は彼の死後により消滅しましたが、1つの芸術運動として今日でも影響力を持っています。
1960年は産業革命の光が輝き、イギリスが繁栄の頂点にいました。一方、モリスも「目を奪う美女」ジェーンと新婚生活をこのレッドハウスで過ごします。
モリスは「精神上は中世」(medieval in spirit)の家を 生涯の友人フィリップ・ウエッブ(Philip Webb)と設計しました。この家はモリスにとって最初で最後の家でした。一方、ウエッブにとって建築の仕事でした。また、モリスが装飾・織物・家具などの内装デザインを考えながら、それを会社組織に展開しました。そして世界で最も美しい家(The beautifullest place on earth)が誕生したのです。
庭園も家と同様に重要でした。リンゴ・梨など果樹、四季を演出する花々を注意深く造りあげました。
ここでの5年間、2人の娘が誕生し、モリスは家族の幸せをかみしめました。また、生涯の友人であるバーン・ジョーンズ夫婦やロセッテイとリビングの壁画を制作するなど、充実した協力体制を築きました。
昼食はサンドイッチを買って、車中で食事です。パンの美味しくないこと。30キロを走って、ロンドンのパデイントン駅(Paddington station)に着きました。この駅は東京の新宿と渋谷の両駅を合わせた駅にたとえられます。長距離列車と地下鉄電車が接続している点は新宿に似ています。一方、クマのパデイントン(Paddington Bear)(*)は渋谷のハチ公に例えられます。
この駅から歩いて5分にヘニング・ストウメルさん(Henning Stummel)の邸宅があります。
彼の祖先はドイツ人です。彼自身5歳の時に来て、10歳の時ドイツに戻りました。名門ダムスタット大学(TH Darmstadt)で幅広い建築を学びました。都市計画と建築が専門です。卒業後 イギリスの建築事務所をいくつか経験し、2000年に独立しました。結婚して、お嬢さんさんが誕生した時でした。
ヘニングの建築の核心は次の通りです。
「エコや地域性を配慮しながら、新しい角度から歴史的価値がある建物を新再活用します。実際 この考えで仕事をしていますと、古い建物に啓発されて今日のプロジェクトが成功してきます」
彼の代表的作品を見せて戴きました。「明確に定義され、容易に理解しやすい特徴を持っています。また現代人の生活ニーズを満たしながら、シンプルなデザインが長く美的センスを持ち続けるように感じました」
以上の言葉を具体化したのが、彼が建築し、住んでいる家です。
産業革命の結果、物資の輸送のターミナルとしてパデイントン駅が造られました。当然、付近に1840年頃、物資の倉庫も造られました。幾他の変遷の後、最近はアンナテーク修理工場でした。建物はメンテナンスが全くなされないまま、売りに出されました。隣人がそれを買い取り、住居用許可を得ました。
2007年、その隣人から1/3の面積をヘニングが買い取ったのです。外観は歴史物であるのでこわすことができないので、そのままにしました。
中国人の奥様と家庭内離婚。一階にヘニングが住み、奥様は2階、3階に子供が住んでいます。撮影はもっぱら2階の奥様のスペース。ベッドには下着が干してありました。撮影が終わり、奥様のキッチンを使って簡単な料理をして、奥様のダイニングで雑談中に、シテー(東京の丸の内ように権威がある)に勤務している奥様が帰ってきました。ご主人のへりくだった態度にガッカリしながら早々に退散しました。
(*)イギリス作家マイケル・ボンドが創作した架空のクマ。このクマはパデイントン駅で「このクマを世話してください。お願いします」という張り紙を付けたコートを着て、スーツケースの上に座っていた。ここから物語は始まる。

